生録!長野県知事選の話-1
<元・長野県副知事、阿部守一さん、須坂市の旧役所にて>
2010年夏の長野県知事選の話。5月18日に小布施で松本猛さん、20日は須坂で阿部守一さんと直接お会いしてお話を聴いて来ました。
お二人とも、田中康夫さんに見いだされた、個性と才能ある方です。新聞、テレビ等マスコミ報道では、ほんとうのところはなかなかわかりません。
なぜなら、第一にほとんどのマスコミが何らかのかたちで、政界、財界と繋がっている。第二に報道は断片的に切り取られ、全体の姿が見え難い。第三に真実はその人の目、声、表情などに直接触れなければ、見えてこない。
・・・どなたを支持するという意図はありません。ビンさんの情報網で直接取材したことを「生」の状態でお話し、お伝えしたいと思います。
2000年、作家田中康夫さんが長野県知事に当選した日、長野バスターミナルビルの当選待ち会場にボクはいました。万歳ではなく、ジュースで乾杯!ボクは壇上の田中新知事の真後ろに行き、報道のカメラに対峙しました。当然、翌朝のほとんどの新聞にボクも載っていました。何故こんなことをあえてしたのか?国、県、市、町、村の役職職員や議員や首長に、「これまで続けてきたあまりにもデタラメでサギのようなこと、こからはできませんよ」と身体をはって見せたかったのです。それほどの出来事とボクは戦っていました。
2000年、田中知事が誕生してから数年間、ボクは長野県議会本会議を取材しました。会議中の居眠り、ケータイいじり、福祉・教育論議になると退席してタバコぷかぷか等々、これらは日常茶飯事。最も驚いたのは、県議会の構造です。実質、県議会は「共産党」と「社民党〜公明党〜民主党〜圧倒的な自民党」の大きな壁に二分されていました。簡単に言うと、吉村知事時代まで「社民党〜自民党」はほぼ与党だったということ。ほとんどの議題がまともに討論されず、「シャンシャンシャン」で決まっていたのでしょう。県民の血と汗の税金で、県議会議員はやりたい放題、県職員も最小限の仕事でラクチンだったのです。田中知事が誕生した直後から、議員や役職職員による田中イジメが始まったのを皆さんも覚えているでしょう。やりたい放題ができなくなってしまうので、必死だったのでしょう。いや、悪事がバレルのを恐れていたのかもしれません。
・・・ボクは、さらなる議会の実態を目の当たりにします。勉強不足で討論の原稿を書けないので、質問と答まで優秀な県職員に書いてもらう県議がかなりの数いるのです。さすがのボクも驚きました。
長野県議会の実態を書きましたが、田中知事から村井知事になって元の木阿弥。いや、吉村県政時代に比べて借金も増えて、さらにひどくなったのかもしれません(県職員はもっとラクチンに)。
はてさて、こんな状況の中で、松本猛さんが知事選出馬表明。阿部守一さんも来週にも出馬表明の予定。三人目は誰か?それとも松本、阿部の一騎打ちか?
・・・5月20日夕方、ボクは須坂市の旧役所に行きました。古風な洋館を想わせる建物です。シャレたトイレの前で待っていると、阿部守一さんが出て来たのです。お互いにちょっとびっくりして「あっ、どうも」と口をそろえてしまいました。マスコミも来始めていたので、少し話してから二階の会場へ移動しました。(つづく・・・)
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